自宅と仕事場を兼ねているケースが多い、小説家や漫画家、美術家など作家の家。生活の場であり、創作の場でもある家にはどんなこだわりが詰まっているのでしょう。
作家の家を訪ね、その暮らしぶりや創作風景を拝見する連載「作家と家」。第4回は『対岸の彼女』『八日目の蝉』『紙の月』などで知られる小説家・角田光代さんの自宅を紹介します。
数年前、長年暮らしてきた東京都杉並区にまるで森のような庭付きの一戸建てを建てた角田さん。「飲み屋みたいにしたかった」という温かな雰囲気のダイニングと、開放感のある夫婦の書斎が特徴的な住まいです。
それまでは長らくマンション住まいだったという角田さんですが、ここに越したことでどんな変化があったのでしょうか? 都心にありながら自然を身近に感じる穏やかな暮らしぶりについて伺いました。
※取材は、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました
「愛着のある杉並区」で、2年ものあいだ“理想の土地”を探し続けた
東京都杉並区。中央線の最寄駅から徒歩数分の住宅街に、美しい庭をもつ一戸建てがあります。庭というより、ちょっとした森。豊かな緑になじむ木造の建物が、作家・角田光代さんの自宅です。
「 設計してくれた建築家の西久保毅人さんには『目立たない家にしてください』とお願いしました。そしたら西久保さん、なぜか庭に木をたくさん植えはじめて。目立たないというのは“奇抜ではない、どこにでもあるシンプルな外観の家”という意味だったのですが、まさか建物を木で隠すとは思わなかったですね(笑) 」
“どこにでもある家”というオーダーには、角田さんの住まいに対するスタンスが表れています。もともと注文住宅や一戸建てに強いこだわりがあったわけではなく、そもそもマンション派だったのだとか。
「 実家が一戸建てだったこともあり子どもの頃からマンションに憧れがあって、ここを建てるまでずっとマンション暮らしでした。でも、大きな地震が続き、高いところでの生活に不安を感じるようになって……。それに、2010年に猫の“トト”がうちに来てから、彼女が落下してしまったらという恐怖で、窓を開けられなくなってしまったんです。だったら、地面に近いところで暮らそうかと 」
しかし、家を建てようと決めてから完成まで、3年もの月日がかかったそうです。最も時間をかけたのは土地探し。愛着のある杉並区内で希望の条件に合う場所が見つかるまで、夫であるミュージシャンの河野丈洋さんと一緒に焦らずじっくり探しました。
「 駅からあまり遠くない住宅街で、静かすぎず、適度ににぎやかな場所であることを条件に土地を探しました。でも、なかなか見つからなかったんです。希望どおりで広さも十分なこの土地に出合うまで2年かかってしまいましたが、結果的にとても良い場所が見つかりましたね 」
要望は三つだけ。それ以外は建築家を信頼して“丸投げ”
土地も見つかり、いざ始まった家づくり。設計は“飲み会”でたまたま知り合った西久保さんに依頼しました。
注文住宅といえば細部まで施主の望みをかなえられるのが最大の利点ですが、もともとマンション派で戸建てへの憧れも薄かったという角田さん夫妻。新たな家への要望は大きく三つだけだったといいます。まず「目立たないこと」。次に「居酒屋みたいな空間をつくること」。そして、「野良猫がきてくれるような家であること」。
「 それだけかなえてくれたら、あとはもう西久保さんの自由にやってくださいと。依頼前に西久保さんが過去に手がけたお宅でのパーティーにも参加し、素敵な家をつくる方だということはわかっていたので、基本的には“丸投げ”しました。
そんな私たちに対して西久保さんは単に要望を聞くだけでなく、私の小説を読んでくれたり、夫が音楽を担当している芝居を見に来てくれたりと、それぞれのアウトプットから好みを探る独特のアプローチで私と夫のことを知ろうとしてくださって。その上で、私たちらしい家をつくってくれようとしているのが伝わってきたので、安心して任せられました 」
夫婦ともに多忙で家づくりに多くの時間を割けない中、どうしても譲れないポイントだけを提示して、あとは信頼できる専門家にお任せする。ある意味、効率的で潔いやり方といえそうです。
ただ、その最低限の要望が「居酒屋みたいな空間」「野良猫がきてくれるような場所」というのは、なんともユニーク。そもそも、なぜ「居酒屋」なのでしょうか?
「 お店で飲むのはもちろん、人を招いて家で飲むことも大好きで、以前からよく家飲みの会を開催していたんです。でもマンション時代はあまり人が入れるスペースがなく、別に借りている仕事部屋で飲み会をしていました。料理などの準備にも不便でしたし、飲んだあと家に帰るのも面倒だったので、もう『自宅を飲み屋にしてしまおう』と。
そう西久保さんに伝えたら『大丈夫、僕がつくる家は全て飲み屋みたいになりますから』と。ナゾの自信が頼もしかったですね 」
そうして完成した自宅のリビングダイニングには、約10人が腰掛けられる掘りごたつ式のダイニングテーブルが造作されました。まさに居酒屋のような雰囲気に夫婦ともに大満足しているそうです。
「 長テーブルの板には大工さんが“秘蔵の木”を使ってくれたそうで、『お嫁にいかせるような気分だよ』とおっしゃっていました。
本当に居心地がよくて、以前は夫と飲みに出掛けたら2軒目、3軒目……とめぐっていたのですが、『2次会は家で』という選択が増えました。それくらい大好きな空間ですね 」
また庭の入口を道路側に配置することで野良猫が敷地に侵入しやすくなっており、「野良猫がきてくれる場所」という願いもかないました。
「 猫はよくやってきます。近所のボス猫やどこかの外猫かな? と思うような女の子など、わりと決まったメンバーですね。たぶん私たちが家を建てる前からこの土地に住み着いていたんじゃないかな。ボスからすると『俺の土地で何やってんだ』って感じなんでしょうか。
トトは基本庭にやってくる猫たちに興味を抱いているようですが、ボスはちょっと苦手みたいで、やってくる度に窓越しに変な声を出しています 」
「 ここに住み始めてから、トトの様子も変わりましたね。マンションにいた頃はストレスを発散するためなのかよく家の中を走り回っていましたけど、今はのんびりと落ち着いていて。
庭の植物や虫、鳥など、見るものがたくさんあって飽きないのか、野良猫がいない時でもじっと庭を眺めていることが多いです。家に入ってきた虫を捕まえて『捕ったよ〜』と見せに来ることも。とても得意げで、猫としての自己肯定感みたいなものが育まれているのかもしれません 」
「いずれ」を見越してつくられた、開放的な仕事スペース
もともと「仕事」と「プライベート」のオンオフはしっかりと切り替えたいタイプの角田さん。マンション時代からずっと住居とは別に、夫婦共同の仕事場を借りており、現在も基本的に「仕事は仕事場で」というスタンスを貫いています。
しかしこの家を建てるに当たり、しっかりとした仕事場を家の中に設けました。その背景には「これから長く住む家だからこそ」の選択があったそうです。
「 トトが高齢になってきていますし、いずれ介護が必要になったら自宅で面倒を見ながら仕事ができるようにと思ったんです。あとは私たちにも何かがあって『仕事場に通いづらくなる』ということが起きるかもしれない。そういうときのために、自宅でも仕事ができる空間が必要だなと思いました 」
しっかりとメリハリをつけたい角田さんの仕事スタイルをくんでか、仕事場と居住エリアは廊下と玄関スペースを挟んだ両端に割り振られており、それぞれの空間が干渉しないような間取りになっています。
吹抜けに階段が設けられており、1階は夫・河野さんのスペース、2階は角田さんのスペース。同じ部屋にいながらそれぞれが集中しやすい工夫が凝らされています。
「 これも西久保さんのアイデアですね。夫は『(仕事部屋は)一つでいいんじゃない?』と言いましたが、私は『いや、二つないと困らない?』と。西久保さんはそんな夫婦の会話をなんとなく聞いていて、一つの部屋に二つのスペースを作ってくれたのだと思います 」
「居住空間」と「仕事の空間」を分ける理由の一つに、「執筆中は資料が散乱してしまうから」と話す角田さん。そのため、この仕事場ではとても広いテーブルが造作されています。
「 源氏物語の現代語訳(河出書房新社より刊行)をやっていた時は本当に忙しくて、夕飯後にこの書斎へこもる毎日でした。あとは新型コロナで外出を控えていた時もすごく助かりましたね。ここは開放的な雰囲気だし居住空間からも独立しているからか、こもって仕事をしていてもあまりつらさは感じなくて 」
これまで、自宅では仕事のことをほとんど考えないようにしてきた角田さんですが、ここに暮らし始めてからふと想像力がかき立てられる瞬間が生まれたといいます。
「 晴れた日に、木漏れ日が床に模様をつくることがあります。微細に動くそれを見ていると、どういうわけかやる気が出て『まだ書かれていないはずの、すごくいい何かを書きたい』という気持ちが高まるんです 」
この家に暮らし始めて“自然”を楽しめるようになった
この家で暮らして数年。夫婦の内面にも、さまざまな変化があったようです。
「 例えば、夫は家でレコードをかけるようになりました。音楽の仕事をしているのに、マンションに住んでいた時は聴く気になれなかったみたいです 」
「 それから、私はこれまでまったく興味がなかった植物や鳥に心を引かれるようになりました。ここにはたくさんの木が植えられているのでメジロやムクドリ、ヒヨドリなどがやってきてとてもかわいいんです。眺めていても飽きなくて。
そういう自然のものに目を向けて楽しめるようになったのは、やっぱり地面に近い暮らしに移ったからでしょうね 」
「目立たないようにしてほしい」というオーダーから、意図せず生まれた「森の中で暮らしているような家」。しかし偶然にも、「森」には不思議な縁があるようです。
「 昔、精神的に追い詰められていた時期があったんです。その時に近所を歩いていたら森のような場所にたどり着いて、夏の光で緑が美しく映える景色をすごくきれいだなと感じ、その時、きれいだなと感じている自分に気付いてびっくりしたんです。
今はこんなに落ち込んでいるけど、木々や日差しを見て、きれいだなと思えるということは、まだ心に余裕があるということじゃないか、私はまだ大丈夫だと思えたんです。たぶんそれは人工的な美しさでは得られなかった感覚でした。だから、家の中に自然を感じられるような場所があることって、私にとってとても大事なことなんです 」
この家を建てたあとに起きた新型コロナでの混乱にも、大きく心を乱すことなくいられたのは、この家の存在が大きかったといいます。
「 一回目の緊急事態宣言(2020年4月)の時は、スーパーに行くことすら怖くて、ずっと家にいました。その時は、テラスにテーブルと椅子を出してお茶を飲むのが、いい気分転換になりましたね。目の前の緑を眺めていると、鬱々(うつうつ)としたものが晴れてくる。今も時々、ここで朝ごはんを食べたりしています 」
それまでは長くマンション暮らしだったからこそ、余計に自然が身近にある素晴らしさを感じるという角田さん。この先もずっと、夫婦とトトさんの穏やかな暮らしが続いていきそうです。
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お話を伺った方:角田光代さん
小説家。1990年に「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。以降、『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、『空中庭園』で婦人公論文芸賞、『対岸の彼女』で直木賞、「ロック母」で川端康成文学賞、『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、などさまざまな作品で大きな賞を立て続けに受賞。ドラマや映画など映像化した作品も数多い。最新作に『タラント』(中央公論新社)がある。
聞き手・文:榎並紀行(やじろべえ)
写真:関口佳代
編集:はてな編集部