
神奈川県鎌倉市にある酒井景都さんのご自宅を訪ねました。ファッションデザイナーとしてだけでなく、さまざまな商品のデザインやプロデュースにも関わるなど、多岐にわたり活動をしている酒井さん。2022年に建てた自宅にはアトリエを設け、2人の子どもを育てながら、仕事を続けています。
自宅と仕事場を兼ねているケースが多い、小説家や漫画家、美術家など作家の家。生活の場であり、創作の場でもある家にはどんなこだわりが詰まっているのでしょう。その暮らしぶりや創作風景を拝見する連載「作家と家」第9回です。

(※2F吹抜け部分は天井まである収納の扉も記載しています)
山の近くに住みたい! 地盤調査をして安全な土地か確認

鎌倉の小高い丘の上に酒井さんの自宅兼アトリエはあります。建物のすぐそばまで木々が迫る自然豊かな環境。海岸までも徒歩圏内で、山と海の両方を擁する鎌倉の魅力を存分に感じられる立地です。

この家が完成したのは2022年の5月。それまで暮らしていた横浜市から移り住みました。
「 家を建てる土地の条件は、第一に自然を身近に感じられること。私は海が好きで、夫は山が好きなので、両方に近い鎌倉を選びました。
3方向を山に囲まれていてプライバシーも守れるこの土地は希望にぴったりでしたが、唯一の懸念は土砂災害のリスク。そこが気になり検討に時間はかかりましたが、その間に何度もこの土地に足を運んでいるうちに、季節によって変化する自然の美しさに魅了されてしまいました 」
そうなると、もうこの土地以外には考えられなくなり、コストをかけて大規模な地盤調査を実施。山の岩盤の強度に問題がないことを確認した上で、仮に土砂災害が起きた場合でも建物への直撃を回避できる場所に家を建てることにしたそうです。
「 工事期間は約9カ月。その間にも何度か土地を訪れました。更地の状態のときに、家族でキャンプをしたこともあります。朝、目が覚めると山から『ホーホケキョ』というウグイスのさえずりが聞こえてきて、ここでの暮らしがより一層楽しみになりましたね 」
大開口の窓で「自然とつながる」。壁をなくして「家族とつながる」
酒井さん夫婦が目指したのは、「つながる住まい」。
「 『つながる』は、この家を建てるにあたって一番のキーワードでした。
まず夫が『自然とつながる家』にしたいと希望していて。目の前の森をより感じられるよう、リビングから庭につながる窓は開放感あふれる大開口にしました。サッシごと窓を外して壁の後ろに収納し、外と中を完全につなげることもできます。ゆくゆくは、外の敷地にもモルタルを敷いて、家と外の境界をより曖昧にしたいですね 」
那須にあった「二期倶楽部」というホテルに泊まった際、建物の中と外の自然が調和するデザインに魅力を感じ、その要素を取り入れた「森とつながるリビング」にしたといいます。
設計は高機密・高断熱住宅が得意な建築士に依頼し、外気の温度が影響しにくい窓を採用しています。


「 私は『家族とつながる家』にしたかったので、夫や子どもとのコミュニケーションのとりやすさを意識して間取りを考えました 」
その言葉どおり、酒井さん邸には個室以外ほとんど壁がありません。その代わり、空間の至る所でガラスが“仕切り”として施されており、家族がどの場所にいてもなんとなく気配が感じられるようになっています。
また、手すりをガラス製にしたことで空間の「抜け」をつくるとともに、窓からの光がリビング全体に行き渡るようにしています。

また、寝室や子ども部屋が並ぶ1階玄関からリビングまでの空間には、スキップフロア(一つの階層の中に複数の高さのフロアがある構造)を採用。段差を用いることで各部屋の機能を緩やかに分けつつ、空間全体をつなげています。




住宅の室内には珍しいモルタル仕上げですが、もともと酒井さんが好きな素材だそう。
「 店舗でよく見かけるような『モールテックス(モルタル調の左官材)』を取り入れて、洗練された空間にしました。冷たい印象がありますが、あくまでインテリアとしての部分使いなので、寒いということもありません 」
キッチンは、旧居から使っている冷蔵庫の色に合わせて黒を基調としたデザインに。友人を食事に招いた際に、料理しながらコミュニケーションがとれるよう、調理スペースとダイニングを兼ねたカウンターも造作したといいます。

集中よりも「リラックス」を重視した開放的なアトリエ
2階には、酒井さんが仕事をするアトリエがあります。ファッションデザイナーという仕事柄、個室にこもって没頭するのかと思いきや、ここも壁のないオープンな空間になっています。子どもが粘土や工作をして遊ぶこともあるのだとか。

「 アトリエを個室にすることも考えましたが、仕事に集中し過ぎるあまり、家族の存在を無視するようなことはしたくなかったんです。『集中できる環境』と『家族とのコミュニケーション』がせめぎ合った結果、最終的にはやはり壁をなくそうと。
特に今は長男を出産したばかりで、目が離せない状態。ここなら仕事中でも常に子どもの様子に目を配れます 」
酒井さんにとって重要なのは、集中できる環境よりもリラックスできる環境。自分の殻にこもり根を詰めて作業するより、オープンな空間で家族や友人と会話しながら仕事をするほうが性に合っているといいます。
「 私の場合、気持ちが落ち着いているとき、リラックスできているときのほうが、良いデザインが浮かぶことが多いんです。そのため、このアトリエは仕事だけでなく『ひと息つく』ためのスペースを兼ねています。ウォーターサーバーやお茶を置いたり、お菓子を置いたり。行き詰まったら少しリフレッシュして、またすぐ仕事に戻れるようにしているんです 」
また、リラックスできるように内装にもこだわりました。全体的には木やモルタル、白い壁で統一されたシンプルな酒井さん邸ですが、アトリエだけは雰囲気が異なります。ヨーロッパから輸入したという個性的なデザインの床タイルや、濃いグレーの塗り壁が目を引きます。棚にはヴィンテージものの小物が並び、酒井さんの感性を刺激する空間になっています。


「 家全体の内装はざっくりとした要望だけを伝え、材料の選定などは基本的に建築士さんにおまかせしていますが、アトリエについては細かい部分も含めて私が決めました。理想がかない、これからの仕事に良い影響を与えてくれそうです 」

お気に入りのバスルームから、入浴後すぐに眠りにつける動線
アトリエ以外では、バスルームが特にお気に入りの場所だといいます。内装も主に酒井さんが担当しました。
「 お風呂もリビングと同様に、とにかく開放的にしたくて。山の斜面で外からは見えない場所にバスルームを設けて、一面を大開口にしました。カーテンも付けていないので、森の景色を存分に楽しみながら過ごせます。
床はラグジュアリー感を抑えるため、ツルツルではなく、素朴でマットな質感の人工大理石を使用しました。水回りは乾いた空間にするほうが清潔感が出ると考えたんです 」



多忙な日々の中で少しでも心穏やかに過ごすため、バスタイムを特に大事にしているという酒井さん。自身が一番リラックスできる入浴後にそのまま布団に入ることで心身の健康を維持しているそう。
「 入浴から就寝までの流れをなるべくスムーズにするために、バスルームからクローゼット、寝室までの動線をつなげました。入浴後、体を拭いてそのままクローゼットでパジャマに着替え、その先の寝室へ直接アクセスできるようになっています。
クローゼットの床も寝室と同じカーペットになっていて、別々の空間が違和感なくつながっているところも気に入っています 」
ウォークインクローゼットには除湿機を設置し、大切な服にはカバーをすることで湿気から守っています。


自然に囲まれた生活が、心を穏やかにしてくれた
それまで長く都会で暮らしてきた酒井さんにとって、自然に囲まれた生活は初めてのことでした。その経験は、自分の新しい一面の発見や、ライフスタイルに変化をもたらしているようです。
「 例えば、ここで暮らし始めてから早起きが苦ではなくなりました。寝室はとても日当たりがよく、朝は日光と鳥のさえずりで気持ちよく目が覚めます。早起きが日課になったことで朝方のライフスタイルになり、毎日がより充実するようになりましたね。
家事や仕事をなるべく午前中に済ませて、夕方以降はゆっくり家族と過ごしたり。2人目の子どもが生まれる前は、家族が目覚める前に一人で海まで散歩に行くこともありました。しばらく海をぼーっと眺めて、コンビニで買った飲み物を飲み終えたら帰ってくる。それだけでリフレッシュできるんです 」

最後に、この家を建てて一番良かったことを聞くと、「いつでも、ゆったりとした心持ちでいられることですね」と酒井さん。
仕事や育児でストレスを感じることがあっても、窓の外に広がる森を眺め、すぐそばにいる家族と些細な言葉を交わすだけで気持ちがほぐれていく。酒井さんたちが空間に求めた「つながり」は、期待以上の効果を生んでくれているようです。
いろんな「作家の家」
この家は「まだ書かれていないはずの、すごくいい何か」を書きたくなる。小説家・角田光代さん
軽井沢に家を建て、“ほぼ引退”状態から描く楽しさを取り戻した。漫画家・新條まゆさん
群馬の自宅につくった“防音しすぎないスタジオ”で、最高の音を。音楽家・mabanuaさん
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お話を伺った人:酒井景都さん
1982年生まれ。雑誌「Olive」でモデルデビュー。慶応義塾大学在学中に自身のブランド「COLKINIKHA」を立ち上げ。現在は「And Curtain Call」のファッションデザイナーをはじめ、さまざまなブランドのディレクターとして活躍中。
Instagram:@katiiesakai聞き手・文:榎並紀行(やじろべえ)
写真:関口佳代
編集:はてな編集部